デスバレー国立公園 Vol.1
- 2018.03.21
- Journal
3月半ば、デスバレー国立公園はまだまだ涼しい。
夏に向かって急激に気温が上昇するこの地では、5月にもなれば30度後半に達し、真夏には最高で50度近くまで上がる。園内の移動手段は車しかないが、灼熱地獄となった真夏のデスバレーは路面も鉄板のように熱くなるため、タイヤのバーストやオーバーヒートが多発する。車も人も、十分な水分と体力などの備えがないと致死的な危険が迫る、まさに「死の谷」だ。
ロサンゼルスから北東へ向かって車で約4時間半。見渡すかぎりカラッと乾燥した平野が続く道をひたすら走っていると、突然デスバレーの入口を示す看板が登場する。ただ看板がぽつんと立っているだけで、周囲の景色は今までと変わらず果てしなく続く平野なので、公園内に突入したという実感がほとんどない。
周囲には背の低い植物が点々と生えており、「Death」という言葉から連想していた“生き物も水も何もない場所”ではないという事実にまず、意外な印象を受けた。デスバレーを訪れるにあたり下調べをしたイメージでは、生命の気配が一切ない荒野だと思っていたのだ。
今年の3月は、カリフォルニア州全体が例年よりも少し寒い。デスバレーも通常ならもう28度くらいあってもおかしくないのに、今日は20度以下。少し肌寒いくらいだ。車の窓を開けてみると、心地よい風が肌を撫でていく。
まずは体力のあるうちにハイキングをしようと、ゴールデン・キャニオンへ。左右にそびえる岩山には、私たち人類が生まれるはるか昔からこの地に横たわり、膨大な時を刻んできた何層もの地層が広がる。一見、まったく別の時代に形成された個々の集合体のように感じる岩山の一つひとつも、よく見ると地層が奏でる山肌の模様がすべて繋がっていることに気づく。もともとは皆、ひとつながりの大地だったのだと実感する。
太陽に照らされた山々の照り返しが目を開けられないくらい眩しくて、これが名称の由来なのか、とぼんやり考えながらひたすら歩く。少し標高が高くなってきたな、と感じた地点で後ろを振り返ってみた。目の前には黄金色にきらめく山々が連なり、その向こうには人の手が入らない、自然が造り上げた景観が広がっていた。汗ばんだ肌に優しく吹きつける風が気持ちいい。
ゴールデン・キャニオンが位置するのは、公園の中心に近い場所だ。ここから南東へと伸びるバッドウォーター・ロード沿いには、デスバレーが誇るビューポイントが多数点在している。
北アメリカでもっとも海抜が低いとされるバッドウォーター盆地は、かつて存在した湖が蒸発して塩田となった所。乾いた大地に浮き上がった塩の結晶が作り出す模様が美しい。塩の平原を歩いていると、地上に影を落とす分厚い雲の隙間から突然陽光が差し込み、目の前が一気に神秘的な光景に変化した。旅をしていると、ときどきこういう奇跡的な瞬間に出合うことがある。そこは“死の谷”というよりも、何か神聖な空気に包まれた清らかな場所に感じた。
「こんなにデコボコした場所では悪魔しかゴルフできない」という見た目から名づけられたデビルズ・ゴルフコースは、雨風による浸食で鋭く尖った岩塩が見渡すかぎりに広がる。ここで転んだらさぞかし痛いだろうなと、無駄な想像をして鳥肌が立ってしまうほどだ。地面に顔を近づけて耳を澄ますと、無数に連なる塩の結晶が気温の高い空気に触れて裂けるパキッという音が聞こえてくる。まるで大地が人知れず生きて成長しているような、少し不気味な感覚を覚えた。
そろそろ日が沈む。日没は、夕日ポイントとして人気のザブリスキー・ポイントで過ごすと決めていた。ポイントに到着すると、夕日を見ようとすでに多くの観光客が集まっていた。高台に設置された展望所からは大自然が見渡せる。今日は風が強く、空には左右に両腕をいっぱい伸ばしているかのような大きな雲があった。地平線へと沈んで行こうとする太陽は、雲の向こう側に完全に隠れてしまっている。真っ赤に染まる夕日を見ることができなかったのはちょっと残念だが、これはこれで美しい。
身を寄せ合って景色を眺める老人夫婦、ギターで穏やかな曲を奏でる若者、ベストショットを押さえようと三脚を立ててカメラを構える人々……。周囲では皆、思いおもいの様子で1日の最後の時を過ごしていた。
旅行雑誌、情報誌のフリー編集者兼ライター・フォトグラファー。人種や文化の違いに興味があり、世界中の国々を旅行しては、その地で見た美しい風景や人々、おもしろいと感じたものを写真に収める。世界遺産検定1級所持。
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