厄年って意味ないんじゃないかと思うこの頃
- 2022.01.24
- Life -アメリカ生活 日々のぼやき-
2022年を迎えた。
昨年は引き続きコロナの影響で制限の多い1年だったなぁと、しみじみと思う。今年は少しでも状況が前進すれば嬉しい。
さて、今年は寅年だ。
実は筆者は今年、年女である。
アメリカに住んでいると年賀状を出す習慣がないので、干支を数える機会がなくなる。そうなるとだいたい新年を迎えてちょっと経った頃に、今年の干支はなんだったかなぁとふと気づき、スマートフォンでぽちぽちと調べるのがお決まりの流れとなってしまった。
今年も例年に漏れず1月4日頃に何気なく調べてみると、なんと寅年ではないか。しかも36年に一度めぐってくる「五黄の寅」年だとういう。
知識のない筆者は「五黄の寅とはなんぞや?」と思い、さっそく調べてみた。中国由来の古い占術である九星気学に因んだもので、2022年にあたる五黄土星と十二支でもっとも強い運勢を持つ寅年が重なることで最強になるのだとか。
なんと。
しかも36年に一度めぐってくるということは、筆者は五黄の寅年生まれ(年齢がバレてしまうが致し方ない)ということになる。まさに最強の運勢のもとに生まれ落ちた最強の人間ということになるのだ。
これは大変だ。
2022年は素晴らしい1年になる予感しかしないではないか。
喜び勇んで日本に住む同い年の友人にLINEを送ると、「今年は五黄の寅年だけど同時に厄年でもあるから、厄払いはしっかり行っておかなきゃね〜」という衝撃の返事が返ってきた。
な、なんと……!
またしてもこれはノーマークだった。
つい最近、厄年が終わってホッと一息ついていたところだったが、こんなにも早く次の厄年が回ってくるとは。最強と最悪のハーモニー。これでは激動の1年になってしまうではないか。
しかし、私と同じく厄年に恐れおののき身構えている諸君。
一度立ち止まって考えてみて欲しい。
ちょっと待てよ、と。
厄年というものはそれほど恐るべきものなのだろうか。
厄年だからと身構えすぎて、無限の可能性にみずから蓋をしてしまっていやしないか。
今年は厄年だから大人しくしていよう。
あれをしたかったけど、厄年だから挑戦するのはちょっと待とう。
そんなことを考えて、人生にストッパーをかけてしまっているのは自分自身ではないか。
そもそも厄年なんていうものに明確な根拠はない。陰陽道に起源があると考えられてはいるが、それも定かではないらしい。平安時代にはすでに貴族の間で厄払いが行われていたそうだが、科学的な裏付けもないまま長年伝えられてきたようだ。それを世間があたかも科学的根拠があるかのように「これこれ何歳は厄年であり災厄が訪れるので厄払いをすべし」と言い切ってしまったがために、我々はそれを受け入れるしかなくなってしまった。
私たち人間は言葉に影響されやすいから、「今年あなたは厄年だ」と言われれば、今年は悪い年なのだと思い込んでしまう。何か悪いことが起これば「今年は厄年だから」と納得して、余計に行動ができなくなる。そうして思い込むことで、その1年の自分の行動に制限をかけてしまっているのだ。
考えてもみて欲しい。
世間的に「今年は厄年だ」と言われることがなければ、人は厄年について考えることなど一切ないだろう。「今年は何をしても裏目に出てしまうから」と自分の行動に制限をかけることもないし、気分的にも明るい1年を過ごせるはずだ。
現に、つい最近まで2022年が自分にとって厄年であることを知らなかった筆者は、前厄であったはずの2021年を振り返っても「前厄だったからうまくいかなかったな」と思い当たる節は一切ない。なぜなら前厄だと知らずに1年間を過ごしたからだ。結果として心に何のブレーキもかけずに、やりたいことをやりながら自由気ままに過ごせた。
そう考えると、厄年なんていうものは人間が勝手に生み出した、定義の曖昧な思い込み効果でしかない。
もっと言えば、「厄年の人たちはしっかり厄払いをしましょう」というお寺の単なるビジネス戦略であり、我々はそれにまんまと乗せられているだけなのだ。
(お寺を非難する気はないのです。ごめんなさい。)
なんとはなしに厄年について思いを馳せていた私は、そんな結論に至った。
そんなわけで、今後は厄年というものを一切気にせずに生きていくと心に誓った今日この頃なのである。
旅行雑誌、情報誌のフリー編集者兼ライター・フォトグラファー。人種や文化の違いに興味があり、世界中の国々を旅行しては、その地で見た美しい風景や人々、おもしろいと感じたものを写真に収める。世界遺産検定1級所持。
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